2014年12月22日月曜日

高倉健さんの生き方、やる羽目になったらやる

いま小林正観さんの本にハマっています。
『啼かなくていいホトトギス』(中経出版)という本にもすばらしい言葉を見つけました。
【「自我+おまかせ=100」のはなし】に次の言葉が出てきます。
◆「自我+おまかせ=100」という法則が、私たちの人生に非常に色濃く影響しているようなのです。
◆おまかせの人生をより具体的に言うと、「やる羽目になったらやる」ということにほかなりません。やる羽目になったら、つべこべ言わずにやる。これが「やる羽目になったら」ということです。
最近、高倉健さんの記事をよく見かけます。
それらに目を通していると、高倉健さんは、この「やる羽目になったらやる」ということを実践してきた人のように思えてなりません。
そのへんのところを最近の新聞記事から拾ってみたいと思います。
1.【[「ウ」の目 鷹の目]「高倉健」という仕事 編集委員 鵜飼哲夫】(2014年12月20日読売新聞)には次のようなことが書いてありました。
適宜抜粋して紹介させていただきます。
▼二人の出会いは、元映画少年の作家(芥川賞作家の丸山健二さん)が1983年刊の高倉健写真集に文章を寄せたことだった。「それが高倉健という男ではないのか」と題した文は、こう始まる。
〈何もかもきちんとやってのけたいと思い、これまで常にそうしてきたのは、映画を愛していたからではなく、あるいは役者稼業に惚ほれこんでいたせいでもなく、ただそれが仕事であり、それで飯を食ってきたというだけの理由にすぎない〉
高倉健は、俳優生活50年記念の写真文集「想」などに自ら記したように、好きで俳優になったわけではない。食うためにニューフェイスになったにすぎない。
〈とはいえ、いやいやながら仕事をしているのではない。好きとか嫌いとかを尺度にして仕事をするのではなく、やるかやらないかを問題にするのであって、やると決め、引き受けたからには持てる力を惜しげもなく注ぎこみ、奮闘する(中略)それが高倉健ではないのか〉
〈少しでも前進しようと狙っている。彼は決して溺れない。それが高倉健ではないのか〉。
▼「よい習慣は、才能を超える」。
健さんは、まさに、才能のあるなしとか、好き嫌いではなく、仕事という習慣を通して、己を鍛え上げた人だったと思う。
一介の役者は「高倉健という仕事」に徹することで、記録と記憶に残る俳優になった。
2.【[ワールドビュー]「士」だった健さん 中国駐在編集委員 加藤 隆則】(2014年12月21日読売新聞)にも似たようなことが書かれています。
適宜抜粋して紹介させていただきます。
■インターネットではチャン・イーモウ(張芸謀)監督が2009年、映画評論家のインタビューで健さんを「士」と評した記事がたちまち転載され、話題を呼んでいた。
■私は後日、問いかけた女性(中国人)に「士とは、職業を自己表現、自己実現の重要な場だと考え、理想と徳行を妥協せずに追い求める人だと思う」とメールを送った。そして次の言葉を添えた。
「日本では士を職人気質とも評し、それが繊細で精巧なもの作り文化を支えてきた。国土が狭く、資源の少ない日本はこうした人の力に頼るしかないが、士が減ってきているようで心配だ」
小林正観さんは「やる羽目になったら、つべこべ言わずにやる」という生き方が宇宙法則に合っていると説いておられます。
現在は情報があまりにありすぎて、そのような生き方が難しい時代ともいえますかな。

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