2015年6月25日木曜日

『<わたし> ―真実と主観性』、デヴィッド・R. ホーキンズ博士のビジネス界の在り方

続きまして、デヴィッド・R. ホーキンズ博士がこれからのビジネス界のあり方をどのようにとらえているかについて書いてあるところがありました。
2003年に出版されていますから、今や10年以上が経っています。
日本の従来の企業の在り方に似ていて興味深いので紹介してみたいと思います。
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人間の意識は、歴史を通じて非常にゆっくりと前進してきました。しかし、今後は加速化し、霊性はより一般的なものとして普及するのではないかと思います。ビジネス界でさえも、霊的価値を含むことによって収益が上がることを発見し、それがより健全な最終決算に反映されます。
繁栄とはドルだけで測るものではなく、どれだけ自分が喜びをもって参加できたかにもよります。霊的な価値観は、特定の宗教に属するものではなく、明白なことを単に肯定することにあります。たとえば、わたしたちが従業員を保護するのは、彼らを気にかけているからであり、そうしなければ違反行為となり、労働安全衛生局に罰金を課されるからではありません。
多くの企業や政府官僚組織は、202に測定されています。この測定値から察するに、彼らが統合のレベルにいるのは、法律が強制しているからではないかと疑う人もいるでしょう。公共機関は慈悲と赦し、愛想のよさで定評はありません。ほとんどは厳格な機能性のレベルで運営されているように見えます。特徴としては、ユーモアがなく、従業員や民間に対して高圧的です。人間味のなさが、現在のスタイルのように見えます。たとえば、八〇〇番(アメリカのフリーダイヤル・サービス)にかけたときの自動録音の応答は、温かく「こんにちは」と言うかわりに、抑揚のない、気の滅入るようなメッセージが流れるだけです。世界のビジネス界は、人間の温かさや存在感、真心、気遣いを必要としています。何億ドルも稼ぐ企業が、たった時給十ドルの電話オペレーターを雇う余裕もないのはおかしなことです。
歴史的に人類は、神権政治、あるいは政治や市場に宗教の神を呼び出すことをひどく警戒するようになりました。アメリカ合衆国憲法が非常に洗練されているのは、シンプルな言葉で、周知の人間的美徳のみで構成されている霊性と、分派的でゆえに非民主主義的な宗教を明確に区別していることです。皮肉なことに、宗教からの自由が宗教の自由を可能にしたのです。
霊的な美徳が宗教とは別ならば、何も恐れることなく、それをその明らかな恩恵とともに社会のあらゆるレベルに招き入れることができます。「神性」が匿名であれば、神は社会生活とその制度、大企業の裏玄関から静かに忍び込むことができます。すると、コンテクストが変わり、対立構造とその二極間の憎しみが減少します。こうして、大企業は悪者扱いされることが多いとは言え、わたしたちの日常生活の最も基本的なものを提供するのみならず、数多くの仕事や社会構造全体を支える収入を与えてくれると見ることができます。親切さと他者への気遣い、福利が最善のビジネスの実践になります。(p66-67)
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昔の日本の企業の在り方に似ていると思いませんか。
これには、何か示唆に富んでいるようで興味深いモノを感じますね。
有り難いことですわ。
ありがとうございます。

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