2015年6月4日木曜日

はづき虹映さんの『いちばん大事な日本の話』、神社に参拝する意味がわかる

小林正観さんとはづき虹映さんの教えにより、神社にお参りする意味がわかってきました。
ほとんどの神社には鏡(かがみ)が祭ってあります。
「かがみ」に向かって「が(我)」を取り去り、我(が)のない本来の姿である無の心境、すなわち「かみ(神)」に立ち返るための作法だったのですね。
新年の抱負において「1.神社仏閣にお参りする(自分の本性を極める)」としていたことがつながってきて、神社にお参りするとしていたことの意味がわかってきましたわ。
今はそう思えるような心境に至っています。
はづき虹映さんの本『いちばん大事な日本の話』にその辺の事情が詳しく書かれています。
これは日本人にとって最も大事なポイントだと思いますので、少し長くなりますがそっくり紹介させていただきます。
【「神社」は最高の「自己浄化システム」p77-79】
★神社に参拝しに行くことは、生きながら"よみがえる"ことだと思うんです。
★神社に行くのに目的は必要ないと思うんです。しないといけないことも特にないんですよ。一応、儀礼的に、お賽銭を入れて、二礼、二拍手、一礼しましょうという手順はあるけれども、お賽銭を入れなくちゃいけないとか、二礼、二拍手しなくちゃいけないということでもないんです。
【「神社のシステム」を効果的に活用するための基礎知識p79-81】
◎神社の主要なパーツの意味
・鳥居……この世とあの世をつなぐ門、結界の役目
・樹木……「木=気」のシャワーを浴びて身を清めるためのもの
・参道……「産道」。再び生まれ変わるための道程
・手水舎……口と手を水で清め「禊ぎ」をするための場
・砂利……「邪離」。音霊を聞いて自らを瞑想状態に導くためのもの
・鈴……「ススを払う」。音霊を聞いて穢れを払うためのもの
・鏡……「かがみ」から「が(我)」を取ると「かみ(神)」になる。自分自身が神であることを確認するためのもの
・絵馬……「覚悟(約束・誓い)」を記して宣言するためのもの
・おみくじ……内なる自分からの「メッセージ」
・賽銭箱……「浄財」、穢れのついたお金をクリーニングするためのもの
・ご神木……「シンボルツリー」。大自然の象徴
・摂社・末社・別院・奥の院・磐座……こちらが真のエネルギースポットである場合も多い
◎参拝の基本的な手順と作法
①鳥居の前で軽く一礼(帽子やサングラスは外す)
②参道は端を歩く(真ん中は「神様の通り道」として開けておく)
③手水舎で手と口を清める(水は飲まない。口はゆすぐだけ)
④鳥居の前では、そのたびに軽く一礼
(帰るときも烏居をくぐったあとに振り返って本殿に向かって一礼)
⑤お賽銭はすべらせるように静かに賽銭箱に入れる(投げ入れない)
⑥本殿に向かって、笑顔で一礼。その後、二礼、二拍手、一礼の作法
【「日本の聖地」は「オープンシステム」p81-83】
日本の聖地は、誰でも行けるし、排除されるべき人はいないんですね。扉や塀すらないところが多いし、烏居はあるけれども、その門は閉ざされていないわけですよ。ここは大事なポイントですよね。それがオープンシステムであることを象徴していると思うんです。なぜなら、神社には取るようなものは何もないというか、実は大事なものがないんですよ、それは、ぜんぷ自分の中にあるものだから、神社の中に大事なものはなくてもいいんです。神社に参拝に行くのは、"よみがえり"のためなんですよ。もう一度、自分をちゃんと律するというか、リセットするというか、自分の本質である神性に気づくための場所なんですね。それを日本人は、寝て起きることで、習慣としてやっているんです。"よみがえり"ということをね。眠ることは死ぬことで、起きることは生まれることだから、毎日フツーにやっているんですね。それは本当にすごいことなんだけれど、みんな意識していないので、それを意識的にやりましょうという場所として、仕組み化されて全国に配置されているのが神社なんですね。
【「参道」は生まれ変わるための道程p83-84】
神社に行って、鳥居をくぐって、最初に通るのが参道(=産道)です。お産の道なんですよ。もう一度、お母さんのお腹の中に入るところからやりましょうということなんですね。そこに入って身が清められ、穢れが払われるわけですよ。穢れは気が枯れている状態だから、本来の気ではないということです。なので、まず参道で気(木)のシャワーを浴びて、自分を浄化して穣れを解いて、お手水で手と口を清める。手水舎での禊ぎは、沐浴することを簡略化したものだから、全身を洗い清めるという意味ですね。そして、いい神社ほど参道が長いんですね。本殿までの道のりが長いことに意味がある。その間を歩くことで自分が浄化されるわけだから。
【なぜ神社には「鏡」があるかp84-86】
本殿には何があるかというと、基本的には鏡しか置いていないんですね。本殿には、崇拝すべき偶像や経典なとは存在しません。ご神体が山とか、掛軸が下がっていたりする神社もありますけれど、それはいわゆる象徴というか、目印なんですね。それに対して拝むわけではなくて、そこを目がけてエネルギーを注ぐといいよ、という目印です。なので、それを特にありがたがる必要はないし、もちろんじゃけんにする必要もないけれども、何が大事かというと、鏡なんですね。そして、なんのために神社に鏡があるのかというと、自分を見るためなんですね。自分を見るということは、自分の中の神性に気づくこと。日本人は自分の中に神がいることがわかっていて、磨き終わった自分は神なんだということを確認するための仕組みのひとつなんですね、神社は。だから神社には必ず鏡が置いてある。鏡に向かって、ありがとうと言うことは、自分の中の神様に向かっての感謝であり、自分自身に向かって感謝を伝えることなんです。そしてまた参道を通って新しく生まれ変わっていく、そういう仕組みですね。何度も繰り返しますが、それは自分の中に神があるという前提があるからです、それがないと、その仕組みが成り立たないわけです。自分の中に神があって自分と神は一体であり、「私=神」だということを思い出す。そのサイクルが日本の精神的土台をつくっていると思うんです。多くの人は、それをわからないなりに行っているんですね。ほとんどの人がなんとなく観光や雰囲気で神社に行っているんですけれど、それでもちゃんと生まれ変わっているわけです。今では年々神社に参拝する人が多くなっていて、正月の初詣期間に、のべ1億人くらいが神社に行ったという統計もあるらしいです。ということは、日本人全員が最低1か所は、神社に初詣に行っている計算になるんです。それだけ神社に行けるようになったということは、そこでもうみんなが潜在的には気づいている証拠だと思うんですよ。"よみがえりの場"に行けるようになってきているわけですから。海外から日本の神社に来る外国の人たちも増えていて、彼らも参道を歩くと不思議とみんな同じ空気感になっていますよね。それこそまさしく、"よみがえる"ということのあらわれだと僕は思います。
とまあ、ありがたいお話です。
これからは、この事を念頭に置いてお参りさせていただきたいと思います。
ほんに、有り難いことですわ。
ありがとうございます。

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