2015年6月21日日曜日

河瀬直美監督の映画「あん」、新聞記事に感銘を受け映画を観たくなる

感動的な、本当にいい言葉に出会いました。
それは、2015年6月20日の読売新聞『[「ウ」の目 鷹の目]おもてなしの「あん」…編集委員 鵜飼哲夫』という記事に出てくる言葉です。
その記事は河瀬直美監督の映画「あん」の説明から始まります。
そのなかに出てくる言葉に琴線が触れました。
≪あんづくり50年の経験をもつ徳江は、手間暇かけて丁寧にあんをこしらえる。千太郎が思わず、「いろいろややこしいですね」と漏らすと、徳江は「もてなしだから」。すぐに言葉を返す。
千太郎「お客さんのですか?」
徳江「いや、豆へのよ」
千太郎「豆?」
徳江「せっかく来てくれたんだから。畑から」
この世に生まれたものを大切にする。生まれたものの姿をよく見、その内なる声に耳を傾ける。それが小豆の命を生かしたあんにつながり、「どら春」の評判は高まる。≫
≪ものは、いつだって見ているつもりだから、見るなんて簡単、と思いがちだが、これが違う。徳江は、一個一個の小豆を見て、色や形を見分ける目があるが、ふつうの人は、小豆は小豆、みな同じである。花が咲いている。ああ桜か、と思うと、花見でも一つ一つの花の色や形を愛でることをやめてしまう。なぜか。≫
≪文芸評論家の小林秀雄は評論「美を求める心」で、「諸君は心の中でお喋りをしたのです」と分析している。ものを見て、その名前を知れば満足するのが「お喋り」で、もうそれ以上黙って対象を見ようとしない。美術館に評判の名画を訪ね、行列の頭ばかりを見た後、名画を見た満足感でいっぱいになる。「名画」という言葉にとらわれ、絵そのものをじっくり鑑賞しない。そこに落とし穴がある。≫
健康な人から見れば、病気は自然に反する状態だが、年をとればあちこちに故障が出てくるのが自然であるし、病気の人にとっては健康こそが自然体からはほど遠い。
なんと、すばらしい言葉でしょうか。
最後に徳江の言葉が引用されています。
生きとし生けるもの、「私たちはこの世を観みるために、聞くために生まれてきた」
と。
この記事を読んで、河瀬直美監督の映画「あん」を是非にでも観たくなりましたですわ。
これらの言葉には電気が走るほどに感銘しましたが、この映画は非常に奥深い人間の真相を扱っているように思えました。
いろいろ素晴らしい人の作品が次々に目の前に現われてくるようになりました。
なんと有り難いことでしょう。
ありがとうございます。

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