2014年9月10日水曜日

治癒が難しい慢性病などは個性と考える、腰痛と闘わないで生きる

けいじが腰痛を通じてようやくたどり着いた心境があります。
それは、腰痛は治そうと思わずに仲良く付き合っていくのがよいということです。
完治しようとすると、どうしてもジタバタと無駄な動きをしてしまいます。
それに伴って心に波風も立ちます。
現状を受け入れて、それでいいのだと考えると、ジタバタしたあがきはなくなり心も平安になります。
このような考え方を中村仁一先生の本から学び、以前、紹介したことがありました。
それはだいたい次のような考え方です。
≪完治を目指す"闘病"という概念ではなく、もっと気楽に病気を生活の一部としてとらえ、あまり病気に支配されない生き方が望ましい。慢性疾患、生活習慣病という治らない病気は生涯つきあう病気である。≫
それがようやく、身についてきたようです。
同じような考え方が塩田妙玄さんの『続ペットがあなたを選んだ理由』という本にも出てきましたので紹介しましょう。
塩田妙玄さんについては、前編の本からも紹介したことがありました。
今回は、妙玄さんがよだれも悪臭もひどいオボロという猫を、どうにかならないものかと病院に相談に行ったときに院長からいただいたアドバイスとそれによる開眼についてのお話です。
≪「ダブルキャリアのこのような状態の子が治療も続け、ご飯も食べられている。この状態は改善というよりつきあっていく状態なので、病気だからなんとかしなければと思わずに、この子 の"個性"と考えたらどうでしょう?よだれも悪臭もこの子の個性だと。難治性の皮膚炎や慢性の下痢の子にも、そんな提案をしてるんですよ」
この言葉は目からウロコだった。治癒が難しい病気や慢性的な病気は「病気ではなく個性」。病気と考えると何がなんでも治さなきゃ、とそのことばかりに執着しがちだが、「個性」「その症状もこの子の人生の一部」と考えるとこちらも気が軽くなり、重々しい感情でその子と接しなくて済みそうだ。難治性という症状は変わらないのだが、接する側の気持ちがかなり楽に変わる。何より、病気と思うと「私のせいで」「私が治してあげられなくて」などと思ってしまうこともあるが、「個性」なら症状そのものとして受け止められる。p24≫
というわけですが、けいじの考え方はさらに進化(!?)しつつあります。
今や社会に自分の生活を合わせようとするのではなく、自分の方に合わせていくように、自分本位に生きようとしています。
そうでないと、このガラスのような腰ではみんなと一緒にやってはいけません。
行事(イベント)が2日続くともう危ないですからね。
そこで、自分とはこんなもんだと、あるがままの姿を認識する。
これが、この世で背負う荷物(腰痛)、人生なのだと諦観する。
できる範囲でやれることをして精いっぱいに生きていく。
そんな自分の今に幸せを見つめて生きる。
というような心境ですかな!

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