2014年11月29日土曜日

よい本に出会う、小林正観さんの『淡々と生きる』

伴侶と映画を観に行った時に開演まで30分ほど時間がありました。
二人で本屋を覗くことにしました。
本屋に入ったのは久しぶりのことです。
その時に小林正観さんの本に目が留まりました。
斎藤一人さんが小林正観さんのことを取り上げている雑誌の記事を読んだことがあります。
その時、小林正観さんの本も読んでみようかなと思ったことがありました。
本を手にとってパラパラとめくってみると言葉がスッと飛び込んできます。
そこで次は小林正観さんの本を借りようと胸ポケットの8つ折りにした紙にメモりました。
本屋で見た「22世紀への伝言」(廣済堂)は図書館にはありませんでした。
これはリクエスト・予約カードで申し込むことにして、まずは比較的新しい「淡々と生きる」(風雲舎)を読んでみることにし、ホームページから予約しました。
その本が一昨日届き、読み始めるととまらなくなり、感動しながら昨日のうちに一気に読み終えてしまいました。
その中に家の居心地といじめによる自殺についてのお話が出てきます。
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でも自分の家で、あなたはあなたのままでいいよと言われ、そこがいちばん居心地がよければ、子どもはそこにいます。
幼い子どもや小中高生がいじめにあって自殺するという事件があります。親が出てきて、学校の対応が悪いと記者会見します。私はちょっと一般論と違う意見を持っています。もし家で居心地がいい状態であったなら、子どもは学校でいじめにあっても、死ななかったのではないか。その子にとって家が最後の安らげる場所、最後の砦であったなら、少なくとも、学校へ行かない、不登校という形を選んで、家にいたと思うのです。しかし、なぜ学校へ行かないのかと責められる、何を考えているのかと追及される、学校に行ってもいじめられるという現実があるとしたら、居場所がないことになります。そういうことで死を選んだのかもしれない。全部が全部そうではないにしろ、学校に問題があるのなら、家にずうっとこもっていることで救われるという選択肢が子どもにあったはずなのです。だから、学校がいじめに気がつかないで、そのことを解決してくれなかった校長や教頭に不信感をぶつけて記者会見する親を見ると、ちょっと考えてしまいます。
そういう見方からすると、考え方が変わってくるかもしれません。不登校の子どもに対して、親は、この子は家がいちばん居心地がいい所だと思ってくれたんだ、自殺しないでくれてありがとう---と、そういう気持ちにさえなれるのではないかと思います。(p93-94)
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これを読んでいて、先に紹介していたブログのことを思い出しました。
けいじの家での時間が増えて家に居ることが多くなってきたのも、はじめは腰痛が原因だったかもしれませんが、究極的には家の居心地がいいからではないかと思いました。
伴侶が日中はほとんど家に居ることがなくなってきましたので気に障ることを言われることもなくなりましたからね。
やはり居心地のよい家というのは改めて大切なのだなと思いました。
われわれを癒してくれる最後の砦のようなものですからね。
この話の前に手塚治虫さんのお母さんのお話が出てきます。
授業中に漫画を書いていて何度注意しても改まらないので母親が先生から呼び出しを受けます。
その時、母親は頭ごなしに注意することなくその漫画をはじめから終わりまで読んで出来ばえをほめます。
そして1番目のファンになり、お母さんのためにおもしろい漫画をたくさん書いてねと息子をかばったそうです。
釈迦の生まれ変わりだという空海、勝海舟、玄奘(三蔵法師)のお話、それに般若心経の解説など良いお話が満載されています。
他の本も次々に読んでみたくなりましたわ。
伴侶にもすすめてみますかな。

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