2016年5月8日日曜日

生活習慣の見直し③、縛りを解いて本能を解放する生き方をしよう、フォースからパワーへ!?

今回の生活習慣の見直しで、考えさせられたことがあります。
腰痛でリタイアしてから寝たきりの生活が何度か襲ってきて、このまま人生が終わってしまうのではないかと思った時期もありました。
それが無理さえしなければ一人でも暮らせる程度にまで回復してきました。
これには驚くとともに感謝しています。
お陰さまにて今ではたっぷりと自由な時間が与えられていて好きなように人生を過ごせる環境にあります。
それなのに、無理に予定やスケジュールという型にはめ込んで自分を縛るようなコセコセとした生活をするようになっていたのでした。
ようやく、そんなことをする必要はないではないかと思うようになってきました。
と同時に、昨年読んだデビィッド・R・ホーキンズ博士の『パワーか、フォースか』が浮かんできました。
その個所を最後に注記として引用しておきます。
うっかりすると、長年の生きざまで身に染み付いた、フォースという世界に戻ってしまうようなのです。
そこで、この際、どうでもいい予定や行事は解き放ってはどうか。
フォースの世界からパワーの世界に舵を切ってはどうか。
つまり、闇の世界から光の世界に移行してはどうかと思うようになりました。
帯状疱疹で横になって安静にしていると考えは大きく飛躍していきますですわ。
現実に戻すと、やりたいときに心のおもむくままにやりたいことをすればいいではないか。
いい仕組みだと思ってやってきた仏壇みがきとか自転車みがきとかも命日などに囚われず自然とやりたくなったときにやればいいではないか。
外部要因に依るのではなく自分の本性・本然に従って生きてみたらいいではないか。
具体的な例をあげれば、家しごとをしているときに、天気がよいと予定を組んでもいないのに布団を干したり、靴を干したりと自然と次々にいろんなものを干したりしています。
そのようにして自然に太陽の恵みを目一杯享受しているのです。
また、汚れが目につくと、予定を組んでもいないのにその個所と周辺をすぐにキレイにしたりしています。
これも決めてなくても自然に次々にやっているのですね。
これらは、いずれも本能のおもむくままに自然にしていることなのです。
というように、そろそろ外部要因の指標などを当てにするのではなく自分の本性・本然に従った生き方に舵を切ってみてはどうだろうかと思ったしだいです。
そして、やったことはブログに記録として残していけばいいではないか。
と、思うようになってきて、ようやくフォースの世界からパワーの世界に舵を切ることが現実味を帯びてきたように思っています。
有り難いことですわ。
ありがとうございます。
注記:『パワーか、フォースか』(デビィッド・R・ホーキンズ、三五館、序章p69-71)
人間は、自分の目に見える「フォース」によって生かされていると思い込んでいますが、実際には目に見えない根源的な「パワー」によって治められているのです。その上、人間はそのパワーをまったくコソトロールすることはできません。
パワーは努力を必要としないからこそ、その姿は見えなくて、その存在も疑われることはありません。
フォースは、感覚を通して体感されます。しかしパワーは、内なる気づきを通してのみ、認識できるのです。人間の意識は、途方もなくパワフルなアトラクターのエネルギーパターンによって、今のように固定された状況になっています。それは自分で無意識のうちにそういったエネルギーを引き寄せているからです。人間は一瞬一瞬、この進化の段階に止められては、フォースのエネルギーによって抑えられ、また、パワーのエネルギーによって駆り立てられてきたのです。
個人とは、意識の海に浮いているひとつのコルクによく似たものです。どこにいるのかわからないし、どこから来たのかも、どこへ行くのかもわからず、そしてその理由は何なのか知らずにいるのです。人間はかぎりない質問だらけの中でうろちょろしていて、世紀から世紀にかけて同じ疑問をくり返しているのです。よほどの意識の飛躍がないかぎり、私たちはそれを繰り返し続けます。
突然に理解力や意味あいが拡大する前兆として、内なる喜びや解放感、そして畏敬の念などを体験することがあります。そのような体験をした人たち全員が、宇宙は彼らに貴重な贈り物を与えてくれたと、その後、感じるようです。事実は努力によって形になりますが、真実はなんの努力もなしに現れます。
この本の最後で、あなたが「やっぱりそうだったのか!」と言えるようでしたら、この本は成功です。この本に含まれているすべてが、あなたがすでに知っていることの反映に過ぎませんが、あなたがそれを知っていると自覚していないだけです。
ここで試みるのは、隠されている全体像が見えるようになるまで、子供がするパズルゲームのように、白紙の上の点を線で結んでいくことにすぎないのです。
この作品が望んでいることは、失敗や苦労、苦痛といったものの源を溶かしてしまうことであり、また、私たち各々の意識の進化を、すぺての人間が持つぺき喜びのレベルに引き上げることをアシストすることです。
私自身の望みとは、この本を通じて、あなたがそのような個人的な覚醒を理解して、その覚醒の条件を準備できるようになれば、ということです。そうすることが、究極の冒険なのですから。

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