2015年11月23日月曜日

ハル・松方・ライシャワーさんの『絹と武士』の1場面、今度は大河ドラマ『花燃ゆ』(47話)に出てくる

大河ドラマ「花燃ゆ」(42話)に、富岡製糸場が出てくる場面でアメリカに渡る新井(星野)領一郎に吉田松陰の脇差(短刀)が手渡されるシーンがありました。
これを観ていて新井領一郎の孫娘ハル・松方・ライシャワーさんの本『絹と武士』にその事実が記載されていることを知ったのでした。
そこで、その本を図書館から借りて読んでいます。
先のブログにそのシーンの話がようやく本の中に出てきたと紹介していました。
と、今度はその本で読んだ1場面が昨日の大河ドラマ「花燃ゆ」(47話)に出てきたではありませんか。(20151122)
最初の注文がニューヨークで最も有力な生絲商の一人、リチャードソンから新井にあったのでした。
が、折からのフランス、イタリアでの蚕病のため生絲市場は高騰していました。
本によると新井は、値段を交渉し直すよう求めた兄、星野を説得して契約を履行したのでした。
兄は同業者の避難を浴び、損失を埋め合わせるために家族の全財産を抵当にいれて、積荷したようです。
この商談で日本の貿易史上2つの記録が生まれたとのこと。
①日本の生絲商の手によるアメリカへの最初の直接輸出であった。
②日本の生絲がはじめて太平洋を越えてアメリカに渡った。
それまでは、外国人貿易商によりインド洋を通り、ヨーロッパ経由で米国に輸出されていたようなのです。
この注文の損は2千ドルにも達したという。
この取引きで真正直な商人という評判を、新井の一生を託すニューヨークの絹業界に確立できたようです。
リチャードソンは新井の被った損失の大きいことを十分承知しており、1876年9月26日次のような手紙を書き送っています。
----------→(p246)
拝啓
二十一日付の御通知を拝見しました。値上がりにもかかわらず、注文に応じていただき、嬉しく思います。貴殿の正直な行為はまさに商人の鑑であり、今後、貴殿がこのことで決して後悔されることがないよう、値上げを考慮するよう最善を尽すことをお約束します。
敬具
B・リチャードソン
←----------
なかなかいいお話ですわ。
このようなセレンディピティの出会いも有り難いことです。
ありがとうございます。
追伸:
本によると新井領一郎さんは一生の間に、合計90回、太平洋を渡っていて、ハルさんの計算によると40ヶ月もの間、海上でくらしたことと同じになるようです。
横浜からサンフランシスコまでの最初の船旅には3等船室で3週間半もかかったようですから。
そこからさらにニューヨークまで汽車で大陸を横断するのですから、いやはや驚きです。

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