2015年10月16日金曜日

北野武さんの『新しい道徳』、この本も痛快でした

北野武さんの本『新しい道徳』(幻冬舎)を一昨日読み終えました。(20151014)
この本を図書館に受け取りにいったのは10月11日でしたから、3日で読み終えたことになります。
先に読んだ桐島洋子さんの本『ほんとうに70代は面白い』と同じように、この本も読んでいて痛快でした。
一気に読み込むことができました。
たけしさんは、いろんなことに話題が豊富なので読んでいて楽しいし、たいへんためにもなります。
特に第四章の「道徳は自分で作る」は読んでいて心にビンビンと響いてきましたわ。
◆道徳は将来の理想的な国民を育成するための道具ではないはずだ。一にも二にも、子どもの成長や発達のためのものだろう。今の道徳教育は、子どもはこうあらねばならないという型がまずあって、その型にむりやり子どもを押し込めようとしているみたいだ。
それでは順序が逆だ。(p134)
◆翼はこれくらいのサイズでなきゃいけないとか、骨はこのくらいの重さでとか、そういうルールがはじめからあって、それに合わせて鳥は進化したわけじゃない。
鳥は進化した結果、飛べるようになったのだ。空を飛びたいなら、鳥のカラダの構造を研究して、なぜ飛べるのかを知るっていうのが順序だろう。(p134)
◆ルールや法則は先にあるのではなくて、あとからくっついてくるものだ。
フクロウ(けいじ編集:新幹線のパンタグラフのギザギザには、ほとんど音をたてずに飛ぶフクロウの風切り羽根の形状が応用)やカワセミ(けいじ編集:最近の新幹線の先端にはカワセミのくちばしの形状が応用)を研究するように、本田宗一郎やガンジーやスティーブ・ジョブズの子ども時代の研究をいっぺん真面目にやってみたらいい。世の中のためになるすごい発明や
発見をした人とか、社会に大きな貢献をした人とか、誰からも尊敬される人格者とか、とに
かく立派な人のサンプルを集めて、そういう人がどんな子ども時代を送ったか、なぜ偉大な
人になれたのかを研究して、その成果を道徳教育に反映させたらどうだろう。(p135)
どうですか。
スカッとすることを言ってくれてますよね。
今は生身の人との接触はほとんどなくなっていますが、その代わり本を通じて立派な先達とのコンタクトが増えています。
有り難いことですわ。
ありがとうございます。

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