2016年3月3日木曜日

樋野興夫さんの『明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい』、感動しまくりですわ

樋野興夫(ひのおきお)さんの本『明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい』(幻冬舎)をいま読んでいます。
300体以上もの病理解剖を行ってきた経験から樋野先生は「死から生を見つめる」ようになったようです。
生まれて間もない赤ん坊を解剖しなければならないときは、「いったいこの子は何のために生まれてきたのか?」といった人生のむなしさも感じたようです。
たくさんの死に向き合ってきて、次のような結論に達したようです。
≪人間には一人ひとり、その人に与えられた役割や使命がある。たとえ生後2時間で亡くなった赤ん坊であってもそのことに変わりはない。生まれてきたことや、生きていたことが残された者への贈り物となる。≫
その先生でも、いまだ、日々、自分の役割を生きながら、歩きながら、探し求め続けておられるようです。
まだ、半分も読んでいないのですが、みるみる付箋が付いていきます。
その中の1つ【人生は1周遅れぐらいがちょうどいい】から紹介してみます。
❶いま振り返ると「人生は1周遅れぐらいのほうがちょうどいい。ゆっくり走ると、ゆとりが生まれる。人生はゆとりを持って品性を保ちながら走り続けることが大切」と感じます。(p33)
❷トップでゴールできればそれは確かにすばらしい。しかし、トップの人にだけ価値があって、ビリの人には価値がないかというと決してそうではない。ビリでゴールした人にもトップとはまた違った価値がある。(p33-34)
❸病気になって人に遅れを取ってしまったからといって焦らなくてもいい。失敗して無駄な時間を使ってしまったからといって焦らなくてもいい。うまくできないからといって焦らなくてもいい。むしろゆとりを持って、品性を保ちながらやり続けることが大事です。人生は相対的です。息を切らして必死の形相で先頭を走るよりも、鼻歌を歌いながら1周遅れぐらいがちょうどいいんです。(p34)
❹一等にもビリにもそれぞれに違った価値がある。周回遅れになっても、最後まで走り切った姿に人は感動する。走り続けることが大事。(p35)
❶については、けいじも最近では、車でも自転車でもゆっくり走ることでゆとりが生まれ、それが安全運転にもなり、それに快感を覚えていますので、同感できますね。
❸に出てくる失敗については、エジソンの名言が紹介してありました。
◆「私は一度も失敗したことがない。ただ、1万とおりのうまくいかない方法を発見しただけ」(p47)
なかなか、いい言葉ではないですか。
有り難いことですわ。
ありがとうございます。

0 件のコメント: