2018年1月29日月曜日

形式や結果ばかりがもてはやされる今の日本に、エピクテートスの自由、会津藩の「ならぬことはならぬのです」の「什(じゅう)の掟(おきて)」

1月27日(土)の読売新聞[時の余白に]というコラムに編集委員 芥川喜好さんの「エピクテートスの自由」という興味をそそられる記事がありました。
読んでみてよかったですわ。
けいじ好みのことばが書かれていました。
日本的な社会の歪みに警鐘を鳴らしているような記事です。
その個所を抜粋してみます。
◆世は骨の髄までコマーシャリズムが浸透して「名」と「肩書」が絶大な力をもつ構造が出来上がっています。
◆以前、ある重度の身体障害をもつ作家が、大手出版社の文学賞で優秀賞を得た際の社会の反応に対して、疑問を呈していた記事を思い出します。
受賞作が出版されるや、それまで相手にもされなかった月刊誌から連載の依頼が来た。他にも原稿や講演の依頼が相次ぎ、講演料はハネ上がった。
受賞以前の自分と今の自分と何が違うのか――と彼は疑義を述べ、「ある程度、肩書やプロフィールが人物評価の基準になるのは世界共通だとしても、この国はそれが強過ぎるのではないか」と言っています。
◆勝利、称号、肩書、知名度、つまり形式や結果ばかりがもてはやされて内容内実が問われない社会の空気は、華やかそうに見えて実際は重苦しく、虚無的ですらあります。
では、そのような問題をどう解決すればいいのか。
それを教えてくれるのが、紀元一~二世紀のローマの哲人、エピクテートスだというのです。
●「自分の力の内にあって自由になるものと、自分の力の内になくて自由にならぬものを峻別せよ」
●自分の考え、行動、意欲、拒否などは自分の意志通りにできる。自分の力の内にあって自由になるものです。しかし身体、所有物、評判、社会的地位などは自分の力の内にはない。思い通りにはならないのです。
●両者を分けよ、分ける訓練をせよ、とエピ氏は言う。分けてどうするか。自分の力の内にあるものに最善を尽くせ、と言う。では、自分の自由にならぬものはどうするのか。それが起こるままに認め、受け入れよ、と言う。当方流に訳せば「放っておけ」ということです。
最後は次んことばで結ばれています。
●自分で自分の成すべき仕事と決めたことに打ちこんでいる人の姿は美しい。他人の領域に属すことを支配しようとする人はいずれ道を誤ります。
いかにIT技術が革命的に進展しようが、二千年前の賢人の智恵にはかないません。
これには久しぶりに感動しました。
そこで、「ならぬことはならぬのです」という会津藩の言葉がふっと浮かんできましたわ。
1月28日(日)の読売新聞[名言巡礼]に会津藩の幼年者向け教え「什(じゅう)の掟(おきて)」が紹介されていました。
このことばには、大河ドラマ「八重の桜」でもお目にかかっていました。
この2つの記事には久しぶりに心が揺さぶられましたわ。
有り難いことです。
ありがとうございます。

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