2017年5月17日水曜日

佐藤愛子さんの『孫と私の小さな歴史』、けいじと似た点を拾い上げてみる、自分を振り返る契機に

5月6日(火)のブログにおいて、佐藤愛子さんとは似たような考え方や行為が見られると、『孫と私の小さな歴史』(文藝春秋)という本のなかから、その一部を紹介していました。
その他にもありましたので、紹介いたします。
手もとにある物を工夫して流用することで、お金をかけないように(p36)
これは、今けいじが実践していることです。
考えに考え抜くといろいろ新しい発見があるものですね。
孫は娘夫婦の子供であって私の子ではないので、口を出すのを控える(p44)
これは、観察して見守っていこうとすることで、実践しているとこです。
あまりに距離感が近いと、つい口出ししたくなりますから、距離をおくことにしたいと思っています。
その延長線上に西郷村への移転があったのですけどね。
大の病院嫌い(p54)
佐藤愛子さんは新聞も見出し以外は読めなくなってしまったので、白内障の手術をしたとのこと。
けいじは、まだそこまで悪くなっていないので、手術はペンディングとしています。
来る者拒まず去る者追わず(p84)
これは、けいじの昔からの接し方のように思います。
基本的には受け身が性に合っているからなのでしょう。
カミさんとゴールインしたのもこれに尽きますかな。
花粉症(p119)
佐藤愛子さんは3月のようですが、けいじは5月のがヒドイですね。
今振り返ってみると風邪と思っていた症状は実は花粉症だったのかもしれません。
物は何でも、取っておきたいので、断捨離反対(p142)
ヒイ孫が曾祖母のはんてんを着ていると思うと、感慨無量となったことから、佐藤愛子さんは断捨離反対を唱えているようです。
けいじも一時期、断捨離のまね事をし、試行錯誤をかさねてきましたが、やはり最終的には馴染みませんでした。
今は断捨離ではなく今あるものをいかに活かして使い切ってあげるかに智慧を絞るようにしています。
もともとモノをそんなに持っているほうではないですから。
体調が低調でも人と向き合うと元気に振舞ってしまうので、人は誰も元気がないとは思ってくれない辛さ(p144)
これは、よく理解できますね。
なぜか、人前にでると元気ぶって、そのあと寝込むことがよくありましたから。
面自さとは、感性の問題だから、教えられない(p192)
最近になって五感、さらに第六感をも大切にしています。
先ずは五感を磨いています。
自分の体調をよく感じて対処してあげると、寝込むまえに回復できるようになってきたように思います。
社会に入っていくと、これが難しいようには思います。
第六感は自然に触れたり、芸術作品を見たりしていると突然、えも言われぬ感動、至福のひとときが降りてくるようです。
また、五感を極めていくと第六感につながるのではないかとも思うようになってきました。
芸術は納得するものじゃなくて、感じるもの(p196)
感性を磨く意味でも、芸術作品に接することは大切なのかなとは思っています。
この本のお陰で、自分を振り返ってみることができましたわ。
有り難いことです。
ありがとうございます。

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