2017年5月16日火曜日

佐藤愛子さんの『孫と私の小さな歴史』を読んでみて、痛快なお話に一気にファンに

佐藤愛子さんの本『孫と私の小さな歴史』(文藝春秋)を読んでみて、一気にファンになってしまいました。
お話というか、文章がこれまたおもしろいのです。
それに、風変わりで人間味に溢れているようです。
この本は1992年から2011年までの年賀状に孫と扮装して載せる写真の苦労(!?)話なのです。
2011年はなんと葬式の写真を年賀状に掲載しているのです。
いやはや、驚きです。
読んでいると、けいじと似たような考え方や行為が随所に見受けられます。
いっぺんに親近感を覚えてしまいました。
似ている点を「かつて書いた孫のこと①生後すぐ」(p13-22)という項から拾ってみましょう。
●特大の座布団が好きで、それを取られるとくつろがない
佐藤愛子さんも大ぶりの座布団が好きで、それを孫の赤ん坊に取られたときはどうもよその家へ行ったようでくつろがないとあります。
けいじも特大の座布団が好きでした。
カミさんに邪魔にされ捨てられて今はありませんが、リビングのけいじの定位置に誰かが座っているとやはり落ち着きませんですね。
今は長方形の大きな座布団を枕代わりに寝室では使っていますけどね。
●赤ん坊の世話はしない
かねてから佐藤愛子さんは赤ん坊の世話はしない、と心に決め、口にもしてきたとあります。
そこで、ばあさんだと思わず、じいさんたと思ってくれ、と娘にいっていたようです。
なぜなら、じいさんというものは、ただニコニコして「ほう、ほう」と赤ン坊を見ているだけで、赤ン坊がうるさくなると、「ほら、泣いてるじゃないか。何とかしてやれ」といってどこかへ行ってしまう。
それに、じいさんはおしめの取り替えなどしないし、不器用だからじいさんが赤ン坊を抱くと、まわりはハラハラする、といわけで、そんなじいさんになるつもりだったらしいです。
けいじはじいさんで、腰もよろしくないので、そうなっていますが、娘3人が手がかかるまではカミさんと苦労したものです。
転勤族なので親はあまり当てにしないようにして、自分の楽しみや、旅行などは我慢して、手がかからなくなるまでカミさんと2人で頑張って、どうにか乗り越えてきました。
そんなわけですから、もう赤ん坊の世話はしたくないという思いです。
しかし、カミさんはそうではないようで、孫の世話に今でもはまっていますね。
●婿をムコどのと書いている
けいじもブログで2女の婿を婿殿、3女の婿をムコ殿と使い分けて書いています。
ここでのメインのお話は、娘と赤ん坊が退院してきた日の赤ん坊の沐浴を誰がさせるか、という問題なのです。
「わたしゃ出来ないよ」と宣言するところから始まって、娘とムコどのの悪戦苦闘ぶりを横目に見ながら食べたくもない(!?)赤飯を食べているという構図になっています。
この項の最後では「私はじいさんだから、手出しはしない。私は頑張る。孫の面倒は見ないぞ。」と結ばれています。
いやあ、痛快そのものですね。
ほんと、楽しませてもらいましたわ。
有り難いことです。
ありがとうございます。

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