2016年11月27日日曜日

外見ではわからない「見えにくい障害」、この世にはたくさんあることを知る、大きな人生のテーマにも見える

2016年11月24日読売新聞「[スクールデイズ]東大准教授、小児科医・熊谷晋一郎さん」に『障害のある人との出会い』という記事がありました。
そのなかに、引き付けられる先生の言葉がありました。
【外見ではわからない「見えにくい障害」が世の中にはたくさんあることを知って視野が広がりました。】
先生ご自身も、生まれてすぐ高熱のため脳性まひになったらしく、中学以来、電動車いすのお世話になっているようです。
この言葉には考えさせられました。
けいじの腰も目も外見ではわからない「見えにくい障害」にあたると思ったからです。
腰痛については今は定年退職して無理のない生活を送っているので再発は免れています。
今では社会はおろか、家族とも距離をおいて接しています。
外見には異常があらわれていないので、常人のように扱われてしまうと、腰痛再発という、たちどころに困った状態となってしまうからです。
つまり、昔のように皆に合わせた行動ができなくなっているのです。
そこで、自然と社会活動や家族行事にも距離を置くようになっています。
ハードと思われるような活動・行事には参加しないようにしているわけです。
目についても左右の視力がアンバランスで極端に偏っているため目が異常に疲れやすい状態にあります。
それに、白内障の症状も加わりつつあります。
無理をすると目の回りがピクピクと痙攣して顔面神経痛のような症状があらわれます。
こんな状態では、人からの頼まれ仕事に応じることもできません。
カミさんから頼まれたエクセルシートの作成ぐらいが関の山です。
けいじは、すでに定年退職をしているので、今は距離を置いていられます。
が、それができない若い人たちは、けいじもそうであったように、医療機関にかかったり、麻酔注射の世話になったりしながら働いていかないといけないんだろな、と思うと辛くなってしまいます。
そういう人たちがたくさんいるんだということをこの言葉は教えてくれます。
皆、大なり小なり外見ではわからないハンディを背負って生きているのかもしれません。
この言葉の重みを噛みしめてみて、寛大な心で人とは接していかなきゃな、と思ったしだいです。
この言葉は奥が深そうです。
人間の生き方、あり方にもかかわってくるようなテーマのようにも思えます。
けいじなりに少しづつでも掘り下げてみたいものです。
有り難いことですわ。
ありがとうございます。

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