2017年10月15日日曜日

けいじの存在価値、カミさんのジィジ語録から、あまのじゃく的思考にヒントがあるかも⁉

けいじの存在価値を考えさせるような指摘がカミさんからありました。
カミさんがけいじの脳のある一面を次のような語録でFacebookに紹介してくれていました。
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ジィジ語録
最近の我が家のおじいちゃん(主人です)がおかしなことばかり言うので 公開しちゃいます❗️
広末涼子 (ひろすえ)は 末広(すえひろ)涼子😳
劇団ひとりは(ひとりしばい)
毎晩 笑わせてくれます🤣
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これは、けいじのある一面を見事に紹介してくれています。
けいじの脳はどんな構造になっているのかと考えたこともありました。
暗記が得意でないけいじは物事を覚えるのに一度"けいじの濾過器"という装置を通過させてから記憶にとどめているようなのです。
この濾過器はイメージというフォルムで記憶にとどまるようです。
思い出すときには、まずこのイメージを再現して、それを言葉にし現しようとするので、時としてこのような表現になってしまうことがあるようなのです。
これは、今回に始まったことではなく、昔からよくありました。
まあ、暗記力がよくないということになるのでしょうけどね。
数字や人の名前などをそっくりそのまま覚えるのが苦手でした。
なにか意味をつけないと覚えられないのです。
その点、視覚から入った情報はけっこう覚えています。
人の顔などは1度見たらだいたい覚えていますね。
この方面では、今度はカミさんがさっぱりダメなようなのです。
かといって、視覚で見たものをそっくり写真のごとく記憶にとどめるというのではないのです。
人の顔なども、やはり、"けいじのフィルター"を一度通してイメージ化しているようなのです。
こう考えると、けいじの脳はやはり普通ではないのでしょうかね。
どうも思考があまのじゃく的で、常人とは違った反応をしがちでもあります。
例えば、みんなが右に行くと左に行きたくなり、左といえば右といいたくなります。
考え方が少しひねくれているのでしょうか。
みんながマージャンするから、しなかったし、みんながゴルフするから、しなかったし。
このような片寄った考え方はなぜ起こるのか今でも不思議に思っています。
自分は何のためにこの世に生をうけたのか。
ここに、けいじとしての存在価値の糸口があるのかもしれませんね。
みんなと同じ方向を向いていないことに、なにかありがたい気もしますわ。
有り難いことです。
ありがとうございます。

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