昨日、伴侶が作成した英文レターのチェックを頼まれました。(20150629)
いつもは、プリントしたものを渡されて、それを添削していました。
今回はDellパソコンInspiron 14Rのワードを使って英文を作成していたので、伴侶のパソコンを使って添削することにしました。
グーグル翻訳を試してみることにしました。
ワードを開いてみると、思っていたとおり、ワードのスペルチェックと文章校正機能がはたらいておかしなところには、青と赤の波線が入っていました。
今回はそこに的を絞って添削してみました。
今までは「アルク英辞郎 on the WEB」一辺倒だったのですが今回はほとんど使わずにすみました。
伴侶の文章の構成というか作文力には前から一目置いているので、今回も文の構成については弄る必要はありませんでした。
グーグル翻訳とマイクロソフトワードのスペルチェックと文章校正機能を使えば英文が容易に作成できそうです。
これはよいことに気づかされました。
それにしても、どんどん便利になっていきますね。
有り難いことですわ。
ありがとうございます。
2015年6月30日火曜日
2015年6月29日月曜日
車でのドラレコ固定、シンプルな方法を思いつく
久しぶりにドライブレコーダーを試してみました。(20150629)
今朝、伴侶を津田沼駅まで送っていくチャンスが訪れたからです。
それに、ようやくドラレコを車に固定する新たないい方法を思いついていたからです。
S字フックをルームミラーの取っ手に引っ掛けてドラレコのクリップではさみ込むというアイデアです。

これだとグラグラしないし、位置的にもちょうどよいところで固定できます。
それに今までのうちでは一番シンプルな方法です。
ドラレコの取り外しがいたって簡単ですしね。
撮影した動画を確認してみましたが、なかなかいいあんばいです。
15分に収めるためにスタート地点、信号待ちなど一部カットしています。
それに前回、聞き流している音楽に著作権侵害とかで広告が貼り付いてきたので、ムービーメーカーでの編集段階で音声は消してみました。
見直してみると、反省する運転がありましたですね。
黄色で交差点に飛び込んだのが2度ありました。
これからは、黄色では飛び込まないようにしたいと思います。
これは有り難いことですわ。
ありがとうございます。
今朝、伴侶を津田沼駅まで送っていくチャンスが訪れたからです。
それに、ようやくドラレコを車に固定する新たないい方法を思いついていたからです。
S字フックをルームミラーの取っ手に引っ掛けてドラレコのクリップではさみ込むというアイデアです。

これだとグラグラしないし、位置的にもちょうどよいところで固定できます。
それに今までのうちでは一番シンプルな方法です。
ドラレコの取り外しがいたって簡単ですしね。
撮影した動画を確認してみましたが、なかなかいいあんばいです。
15分に収めるためにスタート地点、信号待ちなど一部カットしています。
それに前回、聞き流している音楽に著作権侵害とかで広告が貼り付いてきたので、ムービーメーカーでの編集段階で音声は消してみました。
見直してみると、反省する運転がありましたですね。
黄色で交差点に飛び込んだのが2度ありました。
これからは、黄色では飛び込まないようにしたいと思います。
これは有り難いことですわ。
ありがとうございます。
2015年6月27日土曜日
またもや本が図書館から殺到、すばらしい本にうれしい悲鳴
ここのところ、またもや図書館から本が殺到していて、嬉しい悲鳴をあげています。
◆How Google Works 私たちの働き方とマネジメント(エリック・シュミット他)6/28返
◆小さなキッチンの大きな宇宙(西邨まゆみ)7/02返
◆目は1分でよくなる(今野清志)7/02返
◆〈わたし〉真実と主観性(デビィッド・R・ホーキンズ)7/04返
◆続・竹林はるか遠く(ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ)7/07返
『How Google Works』と『〈わたし〉真実と主観性』は既に紹介しているように読み応えのある本です。
西邨まゆみさんの『正しい食欲のつくり方』という本が最近、新聞広告でよく見かけます。
マドンナやミランダ・カーなど、多くのセレブリティが指名する専属シェフらしいので、どんな人なのか読んでみたくなりました。
その本は習志野市の図書館にはまだ登録されていないので、まず『小さなキッチンの大きな宇宙』という本をまず読んでみることにしたわけです。
今野清志さんの『目は1分でよくなる』はバイキングの「ひるたつ」のコーナーに出ていて、温めたスプーン1本で視力回復が可能だというトレーニングを実践していました。
これは、さもあらんと感じたので予約していました。
『続・竹林はるか遠く』は前編で伴侶とともに感動していて、続編を待ち望んでいました。
けいじは待ちきれずに英語版で既に読んでしまっていました。
辞書に頼らずに読んだので、翻訳本を読んでみたいとは思っていたのでした。
続編が新聞広告に出ていたので、すぐ予約していたわけです。
まず伴侶が先に読むことになりましたが、夢中になって今日もう読み終えてしまったようです。
昨晩は孫宅に泊まりでしたが持参していきましたからね。
というわけで、いい本に取りまかれていますわ。
有り難いことです。
ありがとうございます。
◆How Google Works 私たちの働き方とマネジメント(エリック・シュミット他)6/28返
◆小さなキッチンの大きな宇宙(西邨まゆみ)7/02返
◆目は1分でよくなる(今野清志)7/02返
◆〈わたし〉真実と主観性(デビィッド・R・ホーキンズ)7/04返
◆続・竹林はるか遠く(ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ)7/07返
『How Google Works』と『〈わたし〉真実と主観性』は既に紹介しているように読み応えのある本です。
西邨まゆみさんの『正しい食欲のつくり方』という本が最近、新聞広告でよく見かけます。
マドンナやミランダ・カーなど、多くのセレブリティが指名する専属シェフらしいので、どんな人なのか読んでみたくなりました。
その本は習志野市の図書館にはまだ登録されていないので、まず『小さなキッチンの大きな宇宙』という本をまず読んでみることにしたわけです。
今野清志さんの『目は1分でよくなる』はバイキングの「ひるたつ」のコーナーに出ていて、温めたスプーン1本で視力回復が可能だというトレーニングを実践していました。
これは、さもあらんと感じたので予約していました。
『続・竹林はるか遠く』は前編で伴侶とともに感動していて、続編を待ち望んでいました。
けいじは待ちきれずに英語版で既に読んでしまっていました。
辞書に頼らずに読んだので、翻訳本を読んでみたいとは思っていたのでした。
続編が新聞広告に出ていたので、すぐ予約していたわけです。
まず伴侶が先に読むことになりましたが、夢中になって今日もう読み終えてしまったようです。
昨晩は孫宅に泊まりでしたが持参していきましたからね。
というわけで、いい本に取りまかれていますわ。
有り難いことです。
ありがとうございます。
2015年6月26日金曜日
『<わたし> ―真実と主観性』、人間とコンピュータの違いが詳細にわかる
千葉工業大学公開講座で最後に学んだ「人間より賢いコンピュータはできるのか」の講義を受けていて、スピリッチュアルの世界にはコンピュータはたどり着けないだろうと考えたという話を紹介していました。
すると、いま読んでいる本『<わたし> ―真実と主観性』にそのことに触れた文章が出てきましたですわ。
シンクロニシティというのか、いやはやこれには驚きました。
紹介しましょう。
----------→
最も進化したコンビコータでさえ、一人の人間であることの任務に匹敵するものはありません。その明白な証拠に、人間はコンピュータに入れることができる意識的なデータだけでなく、無意識的なデータと、皆目見当もつかないようなエネルギーフィールド、個人と集団のカルマの傾向を取り扱わなければなりません。
したがって、大部分の最も重要なデータが抜けているので、どんなコンピュータもそのようにプログラミングすることはできません。
結果として、人間は膨大な任務を遂行しなければならないのです。そして遂行するにも、脳の機能的、構造的な制限に加え、報酬/快楽回路と、簡単にプログラミングできてしまう単純なソフトウェアを内蔵しているという障害もあります。心は複雑なデータを処理するために、それを分類や論理アルゴリズムに一括するというショートカット機能を利用します。したがって、入ってくる情報のすべてが他のデータと類似しているかいないかを瞬時に決定しなければなりません。さらに心とそのソフトウェアは、こうした複雑性に対応するだけでなく、それを徹底的に"経験"しなければならないのです。そして分析する間もなく、心は経験を自動的に編集してメモリのデータバンクの中にファイリングし、それをパッケージにして提供します。
データは形態だけでなく、より重要な要素として、感情の微妙なグラデーションによって、どこに保存されるかが決定されます。いくつかのデータは呼び出すことができますが、そのほとんどが埋もれてしまい、意識に浮上することはありません。
←----------
この説明を知ってしまうと、コンピュータにできるのは意識的なデータだけですから、到底人間の真似はできないわけとなります。
しかし、この人間の分析は恐るべき高度な内容ですね。
恐れ入りました。
すばらしい本に出会えてよかったですわ。
有り難いことです。
ありがとうございます。
すると、いま読んでいる本『<わたし> ―真実と主観性』にそのことに触れた文章が出てきましたですわ。
シンクロニシティというのか、いやはやこれには驚きました。
紹介しましょう。
----------→
最も進化したコンビコータでさえ、一人の人間であることの任務に匹敵するものはありません。その明白な証拠に、人間はコンピュータに入れることができる意識的なデータだけでなく、無意識的なデータと、皆目見当もつかないようなエネルギーフィールド、個人と集団のカルマの傾向を取り扱わなければなりません。
したがって、大部分の最も重要なデータが抜けているので、どんなコンピュータもそのようにプログラミングすることはできません。
結果として、人間は膨大な任務を遂行しなければならないのです。そして遂行するにも、脳の機能的、構造的な制限に加え、報酬/快楽回路と、簡単にプログラミングできてしまう単純なソフトウェアを内蔵しているという障害もあります。心は複雑なデータを処理するために、それを分類や論理アルゴリズムに一括するというショートカット機能を利用します。したがって、入ってくる情報のすべてが他のデータと類似しているかいないかを瞬時に決定しなければなりません。さらに心とそのソフトウェアは、こうした複雑性に対応するだけでなく、それを徹底的に"経験"しなければならないのです。そして分析する間もなく、心は経験を自動的に編集してメモリのデータバンクの中にファイリングし、それをパッケージにして提供します。
データは形態だけでなく、より重要な要素として、感情の微妙なグラデーションによって、どこに保存されるかが決定されます。いくつかのデータは呼び出すことができますが、そのほとんどが埋もれてしまい、意識に浮上することはありません。
←----------
この説明を知ってしまうと、コンピュータにできるのは意識的なデータだけですから、到底人間の真似はできないわけとなります。
しかし、この人間の分析は恐るべき高度な内容ですね。
恐れ入りました。
すばらしい本に出会えてよかったですわ。
有り難いことです。
ありがとうございます。
2015年6月25日木曜日
『<わたし> ―真実と主観性』、デヴィッド・R. ホーキンズ博士のビジネス界の在り方
続きまして、デヴィッド・R. ホーキンズ博士がこれからのビジネス界のあり方をどのようにとらえているかについて書いてあるところがありました。
2003年に出版されていますから、今や10年以上が経っています。
日本の従来の企業の在り方に似ていて興味深いので紹介してみたいと思います。
----------→
人間の意識は、歴史を通じて非常にゆっくりと前進してきました。しかし、今後は加速化し、霊性はより一般的なものとして普及するのではないかと思います。ビジネス界でさえも、霊的価値を含むことによって収益が上がることを発見し、それがより健全な最終決算に反映されます。
繁栄とはドルだけで測るものではなく、どれだけ自分が喜びをもって参加できたかにもよります。霊的な価値観は、特定の宗教に属するものではなく、明白なことを単に肯定することにあります。たとえば、わたしたちが従業員を保護するのは、彼らを気にかけているからであり、そうしなければ違反行為となり、労働安全衛生局に罰金を課されるからではありません。
多くの企業や政府官僚組織は、202に測定されています。この測定値から察するに、彼らが統合のレベルにいるのは、法律が強制しているからではないかと疑う人もいるでしょう。公共機関は慈悲と赦し、愛想のよさで定評はありません。ほとんどは厳格な機能性のレベルで運営されているように見えます。特徴としては、ユーモアがなく、従業員や民間に対して高圧的です。人間味のなさが、現在のスタイルのように見えます。たとえば、八〇〇番(アメリカのフリーダイヤル・サービス)にかけたときの自動録音の応答は、温かく「こんにちは」と言うかわりに、抑揚のない、気の滅入るようなメッセージが流れるだけです。世界のビジネス界は、人間の温かさや存在感、真心、気遣いを必要としています。何億ドルも稼ぐ企業が、たった時給十ドルの電話オペレーターを雇う余裕もないのはおかしなことです。
歴史的に人類は、神権政治、あるいは政治や市場に宗教の神を呼び出すことをひどく警戒するようになりました。アメリカ合衆国憲法が非常に洗練されているのは、シンプルな言葉で、周知の人間的美徳のみで構成されている霊性と、分派的でゆえに非民主主義的な宗教を明確に区別していることです。皮肉なことに、宗教からの自由が宗教の自由を可能にしたのです。
霊的な美徳が宗教とは別ならば、何も恐れることなく、それをその明らかな恩恵とともに社会のあらゆるレベルに招き入れることができます。「神性」が匿名であれば、神は社会生活とその制度、大企業の裏玄関から静かに忍び込むことができます。すると、コンテクストが変わり、対立構造とその二極間の憎しみが減少します。こうして、大企業は悪者扱いされることが多いとは言え、わたしたちの日常生活の最も基本的なものを提供するのみならず、数多くの仕事や社会構造全体を支える収入を与えてくれると見ることができます。親切さと他者への気遣い、福利が最善のビジネスの実践になります。(p66-67)
←----------
昔の日本の企業の在り方に似ていると思いませんか。
これには、何か示唆に富んでいるようで興味深いモノを感じますね。
有り難いことですわ。
ありがとうございます。
2003年に出版されていますから、今や10年以上が経っています。
日本の従来の企業の在り方に似ていて興味深いので紹介してみたいと思います。
----------→
人間の意識は、歴史を通じて非常にゆっくりと前進してきました。しかし、今後は加速化し、霊性はより一般的なものとして普及するのではないかと思います。ビジネス界でさえも、霊的価値を含むことによって収益が上がることを発見し、それがより健全な最終決算に反映されます。
繁栄とはドルだけで測るものではなく、どれだけ自分が喜びをもって参加できたかにもよります。霊的な価値観は、特定の宗教に属するものではなく、明白なことを単に肯定することにあります。たとえば、わたしたちが従業員を保護するのは、彼らを気にかけているからであり、そうしなければ違反行為となり、労働安全衛生局に罰金を課されるからではありません。
多くの企業や政府官僚組織は、202に測定されています。この測定値から察するに、彼らが統合のレベルにいるのは、法律が強制しているからではないかと疑う人もいるでしょう。公共機関は慈悲と赦し、愛想のよさで定評はありません。ほとんどは厳格な機能性のレベルで運営されているように見えます。特徴としては、ユーモアがなく、従業員や民間に対して高圧的です。人間味のなさが、現在のスタイルのように見えます。たとえば、八〇〇番(アメリカのフリーダイヤル・サービス)にかけたときの自動録音の応答は、温かく「こんにちは」と言うかわりに、抑揚のない、気の滅入るようなメッセージが流れるだけです。世界のビジネス界は、人間の温かさや存在感、真心、気遣いを必要としています。何億ドルも稼ぐ企業が、たった時給十ドルの電話オペレーターを雇う余裕もないのはおかしなことです。
歴史的に人類は、神権政治、あるいは政治や市場に宗教の神を呼び出すことをひどく警戒するようになりました。アメリカ合衆国憲法が非常に洗練されているのは、シンプルな言葉で、周知の人間的美徳のみで構成されている霊性と、分派的でゆえに非民主主義的な宗教を明確に区別していることです。皮肉なことに、宗教からの自由が宗教の自由を可能にしたのです。
霊的な美徳が宗教とは別ならば、何も恐れることなく、それをその明らかな恩恵とともに社会のあらゆるレベルに招き入れることができます。「神性」が匿名であれば、神は社会生活とその制度、大企業の裏玄関から静かに忍び込むことができます。すると、コンテクストが変わり、対立構造とその二極間の憎しみが減少します。こうして、大企業は悪者扱いされることが多いとは言え、わたしたちの日常生活の最も基本的なものを提供するのみならず、数多くの仕事や社会構造全体を支える収入を与えてくれると見ることができます。親切さと他者への気遣い、福利が最善のビジネスの実践になります。(p66-67)
←----------
昔の日本の企業の在り方に似ていると思いませんか。
これには、何か示唆に富んでいるようで興味深いモノを感じますね。
有り難いことですわ。
ありがとうございます。
『<わたし> ―真実と主観性』、『おもてなしの「あん」』と同じく感動的な言葉に出会う
先に『おもてなしの「あん」』という新聞記事を紹介していました。
次のような感動的な本当にいい言葉に出会ったと。
★この世に生まれたものを大切にする。生まれたものの姿をよく見、その内なる声に耳を傾ける。それが小豆の命を生かしたあんにつながる。
★徳江は、一個一個の小豆を見て、色や形を見分ける目があるが、ふつうの人は、小豆は小豆、みな同じである。花が咲いている。ああ桜か、と思うと、花見でも一つ一つの花の色や形を愛でることをやめてしまう。なぜか。
★生きとし生けるもの、「私たちはこの世を観みるために、聞くために生まれてきた」
それと同じだなと思える言葉がデヴィッド・R. ホーキンズ博士の本『<わたし> ―真実と主観性』(ナチュラルスピリット)にも出てきました。
奥深い言葉なのでそっくり抜粋させていただきます。
----------→
正しく見ることができれば、ゴミ箱は愛すべきものであるだけでなく、美しく、完壁であることがわかります。外見を愛することを妨げるあらゆる障壁を取り除かなければなりません。古いゴミ箱を不快に思うのは、固有のプログラミングのせいだということがわかるまで、心を訓練する必要があります。
ゴミ箱について瞑想してみると、「真実」の中では、"ゴミ"などそもそも存在しないことに気がつくでしょう。そこにあるのは、スイカの皮であり、それは食卓にあったときは食べ物と呼ばれていました。しかし、ゴミ箱の中で姿を見せた途端に、不思議なことに「ゴミ」に名前が変わってしまうのです。でも本当のとこ
ろ、スイカの皮であることに変わりはありません。この何の罪もないスイカの皮の隣には、壊れた卵の殻があります。あなたがそれを何と呼ぼうと、それは単に、何の罪もない壊れた卵の殻に違いありません。その隣には、素敵なラップがあります。引き裂かれ、くちゃくちゃに丸められていますが、本質的に、便利な一片のプラスチックであることに変わりありません。けれども、すべてまとめてゴミ箱に入れられると、たちまち"ただのゴミ"という呼び名とともに拒否されてしまうのです。
万物の中に愛を見るという内なる意図があれば、存在するものすべてには、独白の統合性とアイデンティティがあり、どのように人間に貢献しているかを見れば、それらが等しく称えられるべき存在だということに気がつくはずです。スイカは園芸の賜物です。スイカが育ち、出荷することで収入が生まれます。卵の需要があるために、鶏は生かされ、ひとつの産業が創出されることになります。わたしたちは固定概念を捨てることで、存在するものすべての価値を発見し、それがどんな形をしていても、愛すべきものであることに気がつきます。ゴミ箱の横をチョロチョロと走り回るネズミは、可愛くも汚くも見えますが、それも観察者次第です。
"ゴミ箱の禅"より簡単で手っ取り早いエクササイズは、"クリネックス(ティシュ)の禅"です。"クリネックス"を超えたところに焦点を当てると、箱から顔を出したティシュの形のえも言われぬ美しさと優雅さに目がいくでしょう。それはまるで上品な彫刻を鑑賞しているかのように、精妙な羽根、あるいは海面に広がる波紋に見えてきます。
使い古されたゴミ箱の美や愛らしさが姿を現したら、霊的な探究者はプロセスがうまくいっていることを確信できます。ティシュの美のダンスは、さらに前進するための神の真理の手招きであり、探究者が目的地に近づいていることを示しています。(p74-75)
←----------
この本は内容が深遠であるうえに分厚いので、かなり読み応えがありますね。
興味のある分野なのでじっくりと味わいながら読んでいますわ。
有り難いことです。
ありがとうございます。
次のような感動的な本当にいい言葉に出会ったと。
★この世に生まれたものを大切にする。生まれたものの姿をよく見、その内なる声に耳を傾ける。それが小豆の命を生かしたあんにつながる。
★徳江は、一個一個の小豆を見て、色や形を見分ける目があるが、ふつうの人は、小豆は小豆、みな同じである。花が咲いている。ああ桜か、と思うと、花見でも一つ一つの花の色や形を愛でることをやめてしまう。なぜか。
★生きとし生けるもの、「私たちはこの世を観みるために、聞くために生まれてきた」
それと同じだなと思える言葉がデヴィッド・R. ホーキンズ博士の本『<わたし> ―真実と主観性』(ナチュラルスピリット)にも出てきました。
奥深い言葉なのでそっくり抜粋させていただきます。
----------→
正しく見ることができれば、ゴミ箱は愛すべきものであるだけでなく、美しく、完壁であることがわかります。外見を愛することを妨げるあらゆる障壁を取り除かなければなりません。古いゴミ箱を不快に思うのは、固有のプログラミングのせいだということがわかるまで、心を訓練する必要があります。
ゴミ箱について瞑想してみると、「真実」の中では、"ゴミ"などそもそも存在しないことに気がつくでしょう。そこにあるのは、スイカの皮であり、それは食卓にあったときは食べ物と呼ばれていました。しかし、ゴミ箱の中で姿を見せた途端に、不思議なことに「ゴミ」に名前が変わってしまうのです。でも本当のとこ
ろ、スイカの皮であることに変わりはありません。この何の罪もないスイカの皮の隣には、壊れた卵の殻があります。あなたがそれを何と呼ぼうと、それは単に、何の罪もない壊れた卵の殻に違いありません。その隣には、素敵なラップがあります。引き裂かれ、くちゃくちゃに丸められていますが、本質的に、便利な一片のプラスチックであることに変わりありません。けれども、すべてまとめてゴミ箱に入れられると、たちまち"ただのゴミ"という呼び名とともに拒否されてしまうのです。
万物の中に愛を見るという内なる意図があれば、存在するものすべてには、独白の統合性とアイデンティティがあり、どのように人間に貢献しているかを見れば、それらが等しく称えられるべき存在だということに気がつくはずです。スイカは園芸の賜物です。スイカが育ち、出荷することで収入が生まれます。卵の需要があるために、鶏は生かされ、ひとつの産業が創出されることになります。わたしたちは固定概念を捨てることで、存在するものすべての価値を発見し、それがどんな形をしていても、愛すべきものであることに気がつきます。ゴミ箱の横をチョロチョロと走り回るネズミは、可愛くも汚くも見えますが、それも観察者次第です。
"ゴミ箱の禅"より簡単で手っ取り早いエクササイズは、"クリネックス(ティシュ)の禅"です。"クリネックス"を超えたところに焦点を当てると、箱から顔を出したティシュの形のえも言われぬ美しさと優雅さに目がいくでしょう。それはまるで上品な彫刻を鑑賞しているかのように、精妙な羽根、あるいは海面に広がる波紋に見えてきます。
使い古されたゴミ箱の美や愛らしさが姿を現したら、霊的な探究者はプロセスがうまくいっていることを確信できます。ティシュの美のダンスは、さらに前進するための神の真理の手招きであり、探究者が目的地に近づいていることを示しています。(p74-75)
←----------
この本は内容が深遠であるうえに分厚いので、かなり読み応えがありますね。
興味のある分野なのでじっくりと味わいながら読んでいますわ。
有り難いことです。
ありがとうございます。
2015年6月24日水曜日
もくちゃんがやってくる、昨晩からまた預かっています
長女が飼っている猫、もくちゃんを昨晩からまた預かることになりました。
今度はアメリカにいる友達に会いに行ったからです。
最後に預かったのは昨年の12月6日でした。
半年振りとなります。
またもや玄関とベランダの出入りには神経を尖らせています。
仏壇もクローズしました。
大人になってきたのか、以前ほどのお転婆振りは影をひそめ、落ち着いてきたように思います。
それでも、やはりいろいろと煩わされてしまいます。
が、その反面、どらちゃんもいない現在では癒されもしていますわ。
今回は7月1日までのお預かりとなります。
それまでしっかりと、もくちゃんから癒しのパワーでもたっぷりといただきますかな。
これも有り難いことですわ。
ありがとうございます。
今度はアメリカにいる友達に会いに行ったからです。
最後に預かったのは昨年の12月6日でした。
半年振りとなります。
またもや玄関とベランダの出入りには神経を尖らせています。
仏壇もクローズしました。
大人になってきたのか、以前ほどのお転婆振りは影をひそめ、落ち着いてきたように思います。
それでも、やはりいろいろと煩わされてしまいます。
が、その反面、どらちゃんもいない現在では癒されもしていますわ。
今回は7月1日までのお預かりとなります。
それまでしっかりと、もくちゃんから癒しのパワーでもたっぷりといただきますかな。
これも有り難いことですわ。
ありがとうございます。
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